手に職があるということ

仕事

70代後半の男性。右肩関節と右ひじの痛みで来院。可動域には問題はなく、日常生活にも問題はないのですが現在も溶接の仕事をしていてその時に痛むということです。

18歳で秋田から上京して60年近くその仕事一筋にやってきました。職業柄、慢性の腰の痛みで整骨院、整形外科を経由して当院へ来たのが3年前でした。腰は何とか折り合いがつきましたがフルタイムで仕事をしているために肩の限界(というか寿命というか)を超えているのです。

本人もさすがにそれを承知していて、「今年一年」と言って現在は毎週末に治療をしながら仕事を続けている状態です。金銭的には仕事をしなければいけない訳ではないのですが家にいてもやることがないし、お声がかかるので断れないのだということです。

もう少し労働時間か労働日数を減らせば少しは楽で長持ちするのではないですかと提案しても、頑張れば無理がきくからとなかなか聞き入れてもらえません。実際のところ仕事中は集中しているのでそれほど感じませんが、休憩や仕事終わりになると痛みが広がるらしいのです。

どうして後期高齢者がここまで忙しいのか理由を探ると、この仕事をする人自体が少なくなっているからお鉢が回ってくるのだということです。今は橋や道路をつなぐときは必ず溶接部分にX線を当ててその部分に問題がないことを確認する決まりになっているそうなのですが、その精度もやはり人によって違うらしいのです。

本人は謙遜して「60年働いてきたけど平井にマンション買っただけだよ」と自嘲気味に言いますが、二人の娘さんを育ててしかもまだ求められてフルタイムで働ける健康な体です。充分じゃないですかと僕は言いました。

コロナ禍以降、求められる仕事も以前よりさらに正確でAIなど機械によって代替できない、より必要とされるものに限られてゆく中で、他の人でも代替できないという人材の希少価値がより問われています。

技術力が競合よりも高ければ年齢に関係なく需要はあるということです。手に職という意味では僕を含めて多くの人が何かしら持っていることと思いますが、国家資格にしてもただ持っているだけではこの患者さんのように長い間にわたって組織や人から求められることはありません。

顧客、得意先に対して何らかの価値を生み出す技術、知識でなければ競争の中で淘汰されてしまいます。精神論的な話になってしまいますが、その資格を使った仕事そのものに魂が、情熱がこもっていなければいずれ立ち行かなくなってしまうのではないかと思うのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました