孤独とアルコール

日常生活

孤独とアルコール依存、アルコール依存とうつ病にもそれぞれ密接な関連があります。その関連を示唆するのが「ネズミの楽園」と名づけられた有名な実験の話です。

一匹ずつ金網の中に閉じ込められたネズミ「植民地ネズミ」と、快適な広場に仲間と一緒に収容されたネズミ「楽園ネズミ」の双方に、ふつうの水とモルヒネ入りの水の両方を与えるという実験です。

結果は植民地ネズミがモルヒネ水ばかり飲む一方で楽園ネズミは普通の水を飲みながら他のネズミとじゃれ合い遊んでいたということです。さらに檻の中ですっかりモルヒネ依存症になった植民地ネズミを、今度は楽園ネズミのいる広場へと移します。

すると最初のうち、一人ぼっちでモルヒネ水を飲んでいた植民地ネズミは、やがて楽園ネズミたちと交流し一緒に遊ぶようになるそうです。それだけではなく、なんと楽園ネズミの真似をして普通の水を飲みはじめたということです。

『作家ジョン・ハリはTEDのトークの中で「アディクション(依存症)の反対語は「しらふ」ではなくコネクション(つながり)」と主張している。(略)孤立している者ほど依存症になりやすく、依存症になるとますます孤立する。だから、まずはつながることが大切なのだ。』

以前にも独身男性の寿命について書いたことがありましたが、確かに鍼灸治療に来る患者さんたちを見ていても男性の独身の患者さんは中年以降は精神的にも社会的にも孤独になりがちでニコチン、アルコールに依存状態である傾向が強いと感じています。

それは本人も自覚している様で「酒をやめられる鍼ありませんか」と尋ねてくる人もいます。自分からやめようという意識が元々弱いというか、はなから諦めているのです。

それはやはり生活を改善しようというモチベーションが低いからです。人は「誰かの為」なら強くなれる、もしくは頑張れるのですが、その対象が無いこのような状況の人は社会的に孤立し「自分の為だけ」となるとどうしても弱くなってしまうのです。

抗酒剤を飲んだり精神科に入院したり、誓約書を書いたりしてもアルコールをやめられない人が、ダルクのような自助グループや断酒会で辞められるのは何故なのか。

それは同じ境遇の当事者同士が同じ苦しみを味わい、しかもそこから脱却した体験者の話が勇気を与えるからだと思います。心を開いて語り合うことで共感し、皆、同じ目線で部外者が治してやるという目線ではなく一緒に寄り添っているということが大きいのです。

そういった体験によって本人も「自分は依存症なのだ」と認めることができ、そのことが治療への第一歩になるのだと思います。

これはうつ病もまた同じことが言えるのではないかと思っています。共通しているのはやはり心を病んでいる人は薬のみで治るのではなく、治療者としては認知行動療法を含めてカウンセリングで少しずついい状態になっていくのを助ける姿勢でなければならないと思います。

パラリンピックなどで視覚障害者をサポートする献身的なガイドの光景がありますが、彼らが単なるガイドではなく一緒に挑戦しているように患者さんを治療する側もあの競技者のガイドのように患者さんとともに治っていく、歩んでいく治療者でありたいと思うのです。

参考、引用: 「誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論」 松本俊彦 みすず書房

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