『一に平和を守らんがためである』

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ロシアがウクライナに軍事侵攻してもう2年半以上が経過し長期化しています。

プーチンもクリミア半島や南オセチア(ジョージア)の時のように簡単に攻略できると思っていたのでしょうがこんなに続くとはまさか思っていなかったと思います。

こうなっては引くに引けません。まさか自分の妄想から6万人近い(英国国防省予測)の自国の若い命を失うとは思っていなかったでしょう。

独裁者に奪われたウクライナ国民の多くの命や戦争犯罪行為、破壊された住居、インフラ、どうやって責任を取るのでしょうか、否、とれるわけがありません。

しかし、これが戦争というものの終着点なのだと思います。

プロパガンダを信じその挙句に多くの命を失い多大な損害を伴うのです。

今から83年前、わが日本でも同様に軍部と新聞のプロパガンダで「もうやるしかない」という雰囲気に押され開戦してしまいます。

その過ちに対し教訓となる軍人などの言葉(というか名言)を取りあげた本が半藤一利の遺作として出ています。

弱っていく身体で見舞いに来た孫娘(この本の編集者)のために自ら企画したことが編集後記につづられています。

著者が書いた『昭和史』をごくごくエッセンスを凝縮した感じで読み易くなっています。

昭和16年11月5日の御前会議で、11月末日までのワシントンでの日米交渉が妥結しなければ戦争をするということを決定していました。

11月13日の岩国での会議で山本五十六大将は言います。

「開戦は12月8日の予定だがもし日米交渉が成立したならば前日の午前1時までに出動全部隊に即時引き上げを命ずる」

「命令を受領したときには、たとえば攻撃隊の発進後であっても直ちに収容し、反転、帰投してもらいたい。何があっても、である」

それに対し南雲忠一中将が「それは無理です。敵を目前に帰ることなどできません。士気にも影響します。実際問題として実行不可能です」と発言し、それに二、三の指揮官が同調します。

すると山本はかつてない激しい口調で言います。

「百年兵を養うは何のためだと思っているのか!一(いつ)に国家の平和を守らんがためである。」

「もしこの命令を受けて帰ってこられないと思う指揮官があるなら、ただいまより出動を禁止する。即刻辞表を出せ!」

山本は最後の最後までこの戦争に強い信念で反対していたのです。

今の日本でも自衛隊は文字通り自衛のための兵力なのであると。

自衛隊もこちらから他国へ攻めていくというようなことがあってはいけません、一に国の平和を守らんがためなのです、と半藤は書いています。

それまでの戦争をずっと勝ち続け無敗の強気と「大日本帝国は神国なり」(だから正しい、負けない)そして都合のいいように主観的に状況を判断するという過ちを犯してしまいました。

その結果失ったのが320万人(うち民間人70万人)の尊い命でした。

先日復帰50周年を迎えた沖縄ですが、司令官大田実少将が自決する1週間前に発した海軍次官あての電文にも心が揺さぶられます。

最後の一行、「沖縄県民斯(か)く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」

自分の死は脇に置いてのこの電文です。

この何気ないごく普通の晩秋の日にかけがえのない平和があること、平和であることの有難さをしみじみと感じるのです。

参照: 『戦争というもの』 半藤一利著 PHP

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