執着はしんどい  不寛容編

日常生活

通勤時に通る道に建設中の賃貸アパート(ペット可)がありました。そこの近隣4,5軒で建設反対を訴えるラミネート加工された同一のチラシを玄関前などに張っていました。

それに加えてその後2軒の家が横断幕をベランダに張り出していました。

そういえば以前も別の場所のマンション建設中の敷地に隣接する家で、自宅の車庫の敷地に手製の看板で建設反対を訴えている住民がいました。が、竣工していつの間にか撤収していました。そもそも自身の車庫入れに看板が邪魔ですから。

ああいうエネルギーはどこから来るのでしょう?そしてその着地点は?他人の土地ですし、しかも法にのっとって届けを出して許可を取って作っているのですが、気に入らないから反対せずにはいられないのでしょうか。もちろん様々な事情はあるのでしょうが。

何しろ反対している本人の身体にとっては大変な負のストレスです・・・。風邪は万病の元といいますが精神的ストレスこそ万病の元です。いろいろな人がいます・・・。それこそ多様性。でも反対する人にとっては自分を不愉快にする多様性は認めることはできないのです。不寛容。彼らはいつ横断幕を外して穏やかな日常に戻るのでしょうか。(半年後でした)

まだ何の迷惑もこうむっていないのに。ペット可のアパートを探している人同様、自分だって地球上に間借りして暮らしているのに・・・。敵は自分の心の中にあるのです。

という話をその近所に住んでいる60歳代偏頭痛が主訴の女性の治療中に話していたら「誰も相手にしないし、やっている方はそんなこといちいち何も考えていないのよ、(関係ないのに)そこに反応する(僕の)方が執着しているのではないの」と言われました。

「退屈した人間ほどこの世で恐ろしいものはない。意地が悪いと言われる人たちは誰でも退屈することによって不満なのだ。意地が悪いから不満なのではない。」(アラン「幸福論」八十八)という言葉を思い出しました。

敵は自分の心の中に・・・。黙って治療に集中します。

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