セクハラは周囲の無神経が全て

晴耕雨読

セクハラ、パワハラの内部告白は時として周囲から理解されないばかりか、組織のためのいい加減な対応に終始してその事実そのものをいいように誤魔化すことが更に被害者を苦しめているという被害者の手記について書きます。

『セクハラサバイバル わたしは一人じゃなかった』 佐藤かおり著 三一書房 の内容は【謙虚に患者さんに向かい合う】(2023年1月20日UP)でも医師の酷い対応に関してとり上げましたが、この本のメインは大企業とそこから利益を得る派遣会社のあからさまな無作為の告発の手記です。

著者は派遣社員として函館の大手通信会社のコールセンターのオペレーターをしていましたが、その派遣先の人事権を握る担当の社員の立場を利用したセクハラ(執拗なメール、誘い)とそれに伴うパワハラに苦しみ「強迫性神経障害、適応障害、抑うつ状態」と診断されます。

派遣会社に訴えますが全く対策せず(この派遣会社の支店長はセクハラ社員の会社からの天下りだった)、このセクハラ社員の上司にも相談しますが、”いい人なのだが”セクハラをする側の陰湿さが全く分かっておらず真剣に考えていませんでした。

派遣先の労働組合にも相談しているのですが、この窓口になった”気さくに声をかけてくれる人“もセクハラ社員のやり口を全く糾弾せずに却って擁護するような発言をし、さらに派遣先の保健師との面談も“業務的にただ体調はどうかという聞き取り“が主という状態でした。

精神的に弱っている時の特徴として自分が悪い、自分に非があると思いこまされる、自分を責める気持ちが勝ってしまうということが挙げられるのですが、それに拍車をかけるように気の毒なほど恵まれない周りの人間環境です。

何もない時はいいのです、困っている時こそその人の能力、人間性が試されるのですが。

その後、解離症状が出現した為にもうダメだと退職をするのですが、退職時も派遣先に行くのは辛いので派遣会社に頼みますが、その時の女性担当者でさえも「誘われて嫌だったら断ればよかったのに」と受け流されセクハラは性暴力であるという認識が全くないのです。17年前の2006年の話です。

このように周りの男性のみならず女性までもがことごとく著者の辛さを本気で理解しようとする気が全くなく(理解してくれたのは悲しいかな同僚の派遣社員のみ)絶望感、無力感が更に増したことは容易に想像できます。

このようにセクハラ被害そのものによるダメージだけでなく被害が理解されないことによる二次的な精神的苦痛は計り知れません。

そしてセクハラ当人、派遣先の会社、そして派遣会社を相手に起こした損害賠償請求の民事裁判も相手側の大企業らしい組織的隠ぺいに遭います。

気持ち悪い誘いなどのメールはすぐに消していたため証拠がなく、相談した上司にも相談された事実が無いと否定され、派遣会社側の人も聞いてないと否定される始末。これで人間不信になり1年半後に和解を選ばざるを得なくなります。

しかしそこで諦めずに行政訴訟を起こし労災と休業補償の期間をめぐって争い認められるまでそれから8年の月日を費やします。

立場の弱いたった一人の女性の闘い、つまり通信大手企業とその恩恵を享受する派遣会社の無作為と、頼るものが全くなかった孤立無援、無力の女性がPTSDに苦しみながらも支援者たちの出会いとそれに支えられ勇気づけられての再生の記録は同じ思いをしている女性の心の支え、励ましとなり、よい道標になることと思います。

追記: 『彼女は頭が悪いから』 姫野カオルコ著 文藝春秋 これはまた内容が違うのですが2016年に起こった東大生サークルの女子大生へのわいせつ事件を題材に書かれた小説です。共通しているのは立場上であれ、偏差値であれ優越的な加害者が相手に対するリスペクトが全くないことです。

このタイトルは公判で、彼らが発した言葉です。重い読後感ですが読む価値はあると思います。

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