幼子を残す母の無念

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転倒時に手をついてから出現した肩の痛みと若い頃から少しずつ進行してきた側弯症で月二回通院してくる80歳代女性。

曲ってしまった背骨(胸椎から腰椎)はもうどうしようもありませんが、曲がってしまった柱を無理をして支えているロープ(つまり筋肉)を緩めて無理せずバランスよく立てるように治療しています。疲れない立ち方が可能になることで本人も以前との違いを感じているようです。

彼女は昭和14年生まれ、4人姉妹の長女です。泣き虫の甘えん坊で一人で学校に行くことができず、一年生の時にはしばらく母親がついて来てくれたそうです。1時間目も教室にいてくれて休み時間のトイレから戻ると母親がいなくなっていてまた泣くと。そんな記憶があるそうです。終戦すぐの大変な時代だったでしょうに優しいお母さんです。

そのお母さんはその2年後(彼女が9歳の時)前年の昭和22年に4人目を出産した直後から熱が出て寝てばかりになりました。産褥熱という言葉がありますが、出産に伴う感染症か何かだったのかもしれません。「産後の肥立ち」という言葉もありますが、それが悪かったのです。

お母さんは看護師だったそうなので自分の状態は解っていたと思います。とにかくその妹(レイコちゃん)は一度も母乳を飲めなかったそうです。粉ミルクなどありませんからお姑さんが米のとぎ汁に味をつけて哺乳瓶で飲ませていたそうです。

出産直後から1年間そういう状態が続き、ある日姉妹が母親の枕元に呼ばれました。母親は父親に「子供達をばらばらにしないで」と言ったそうです。そしてそれまでほとんど食欲が無かったのに「おにぎりが食べたい」と言い、二つも食べた後、その日に亡くなったそうです。

6歳の妹と3歳の弟は母親の記憶はないそうなのですが長女の彼女はこのようにはっきり覚えていました。父親は遺言を守って5人は一緒に暮らしました。

この人は騙され易く、すぐにテレビCMのサプリメントやら健康食品(しかもサブスク)をいくつも買ってしまうやれやれの人なのです。

治療しつつそんな話を聞いてしまった僕は、そんな人に痛い、辛いと訴えられたら76年前に亡くなった8歳から1歳までの4人の我が子を残して逝かなくてはならなかったお母さんの無念の為にも頑張らない訳にはいきません。

しかし、事実は小説より奇なりという言葉があるように彼女の悲しい話はその続きもあるのです。戦前戦後のこの時期はよくあったのかもしれませんが・・。

お母さんが命がけで産んだレイコちゃんは長女の目から見ても一番利発で可愛かったそうです。レイコちゃん6歳の昭和28年のある日の朝、父親が「母さんがレイコを連れて行くと言った。いやな夢を見た」と言ったそうです。

その時は何とも思わず。レイコちゃんも歌ったり踊ったり夕方まで元気だったそうですが、夜に急に高熱を出しました。お医者さんを呼んだところ疫痢(赤痢の特に重症化したもの)だとのこと。ひまし油を飲ませなさいとの指示でした。

現在でも健康食品としてひまし油を塗ったり飲んだりしますが油ですから高熱を出して朦朧としている女の子にとってはつらいものでとても嫌がったそうです。

当時14歳だった彼女は母親代わりでしたから「これを飲んだらキャラメルあげるから」と妹をなだめて無理に飲ませたそうです。

しかし、口の中でキャラメルが融ける間もなくあっという間に亡くなってしまったそうです。予知夢というものなのでしょうか。

レイコちゃんが生きていれば今年76歳です。こんな話を聞いてレイコちゃんの無念の為にも頑張らないわけにはいきません。

この人は健康食品以外にも髪が薄くなってきたとテレビCMの育毛剤とやらを高いお金を出して買ってしまう人なのですが僕は「お母さんとレイコちゃんのためにも頑張りますよ」と治療へのモチベーションは高いまま頑張っているのです。

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