ロング・グッドバイ その2

仕事

大正生まれの患者さんが100歳を超え老人施設に入ることになりました。車で1時間位の所に住んでいる息子さん、日に3回のヘルパーさんの助けもあって何とか一応一人暮らしをしていたのですが。

さすがに食も落ち、認知機能も低下してきてとうとう一人での生活は無理とのことで83歳の時から片道一時間半かけて通った17年間の鍼灸治療も終了になりました。

小学校の先生だった人だけに礼儀正しい人でした。最後の日も本人は最後と思っていないので「ごきげんよう」と言ってお別れしようとしたのですが「来週も首を長くして待っていますね」と丁寧に言われたので何と返答していいかわからなくなってしまいました。

彼女は関東大震災を体験し覚えていたので治療しながらその時の話を聞かせてもらいました。朝鮮人が襲ってくるという噂で大人が殺気立っていて、母親がそんなひどいことするわけないのにねぇと言っていたとか。

昭和20年3月10日は20歳代後半でもう学校の先生だったそうですが、自宅の品川から北の方が昼間のように明るかったそうです。そのほかたくさんの話をしました。早くにご主人を亡くされていて残されたお姑さんと大変だったという話など物語を聞くようにいろいろ聞かせてもらいました。

ここ何年かは定年退職した息子さんが毎日のように顔を出していたようでした。2年前その息子さんが入院してしばらく来られなかった時は心配して、その時は母親の顔を見せていました。

17年前は自分で買い物をして調理をして食事をして、時々来る息子さんのために小豆をゆでて大好きなお汁粉を作ったりしていましたが、そのうち買い物もなかなか行けなくなり、何年か前に開通したコミュニティバスにも乗れなくなり、ヘルパーさんが来るようになりその回数も増え、食事も最近はエンシュア中心というような感じで本当にゆっくり自然に老いて衰えてゆく様を見せてもらい学ばせてもらいました。

最後の日はもう通うことのない国分寺駅までの道を思わず口をついて出た「大きな古時計」を口ずさんで歩きました。

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