ちっぽけだけれど自分には大切なこと

日常生活

以前、仕事や家事、子育てに忙しい女性の患者さんがキッチンで「夕飯を作りながら飲む缶チューハイが一日の中での数少ない幸せのひとつ」というエピソードを書きましたが、人それぞれ平凡な日常の中で“自分にとっては価値ある幸せなこと”というのが誰でもあると思います。

これは村上春樹もかなり昔のエッセイで同じようなニュアンスのことを書いていましたが。解りやすいところでは「仕事のあとの冷えたビール(一口め)」がありますが、明かりを消してゆっくり入る風呂、ベッドに入って見る映画等々何でもいいのです。

これは心理学領域では精神的ストレスから自分を守る方法のひとつで『コーピング』と呼ばれている対処法です。

いかにこの「小さな幸せ」のバリエーション、引き出しを持っているかによってストレスから解放され心の安らぎを感じる、つまりストレスホルモンにさらされている状態からセロトニン放出(リラックスした状態)へシフトできるか、選択肢をいくつ持っているかでストレスに対する適応力、耐久性が違ってきます。

しばしばこの小さな幸せを色々なシチュエーション、場面で出来るだけたくさん書き出しましょうと指導されますが確実に実行(リラックス)できるなら必ずしも数が多くなくてもそれはそれでいいと思います。

自分にとって鉄板なら大好きなアーチストのDVDを見る、だけでもいいのです。
(帰宅が遅いので)娘の寝息を嗅ぐこと、という乳児のお父さんもいました。ペットと一緒に過ごすなど何でもいいのです。

ストレスや抑うつ症状、自律神経失調症などというとかなり強いストレスや特殊なストレスかと思いますが実は本人もそれほど苦痛を感じていない、意識しない事でもそれが日々積み重なっていくことによって不眠、倦怠、抑うつ症状や不定愁訴として出現してきます。

ですから小さなストレスも小さなうちに処理し消していくこと、現状を自己分析して考え方を自分で修正処理することが大切です(認知行動療法)。納得できないことやイラッとすることは大なり小なり誰にでもあります。コツはそれにとらわれて大きくしないこと、ひきずらないことです。

その為には冷静な第三者がいる設定で「ダメダメこんなこと引きずっちゃうから朝、身体が重くなる」とか「そうだった、この程度の指示に100%で応えようとするから眠る時間がなくなってしまうんだ」など自分で軌道修正する癖をつけることです。

几帳面、真面目、責任感が強い、周囲の目を気にする、人間関係のトラブルを嫌う、など典型的な日本人の「メランコリー気質」な人ほど、こうあるべきという自分で勝手に規定した規格に苦しみ脱け出しにくい傾向があります。

僕の師匠は患者さんによく「難しく考えなさんな」と言っていました。慢性骨髄性白血病の患者さんにもそう言いながら自宅用に灸点をつけていました。くよくよ考えても結論などでないでしょということでしょうか。

詮無き事(せんなきこと)=しょうがない事。でも当時の出口を見つけられない患者さんの心にどれだけその言葉が癒しになっていたかは自分がそういった患者さんの施術者になって初めて理解できることなのです。

過ぎた時間はもう戻りませんし、どう転んでもやがて人は必ず死を迎えます。だとすれば「ちっぽけだけど大切なこと」を紡いでいく人生もそれはそれでいいのではないでしょうか。

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