アイヌの話

仕事

蝦夷地を北海道と名付けた探検家松浦武四郎と、松前藩などの和人に虐げられていたアイヌとの交流を描いたドラマがとても良かったと、患者さんが以前話していたことがあります。

その話を聞いて10年以上前に北海道福島町(松前から東へ15キロほどの町)出身のシゲさんから聞いた話を思い出しました。

元々シゲさんの祖父が松前藩で雅楽なのでしょうか藩の音楽隊のような仕事をしていたそうで、その祖父から小さい頃にアイヌの話を聞いていたそうです。

アイヌとは毛皮などを取引していたそうですが「シャモ(和人)は(数字を)ごまかすから嫌いだ」と言われていたそうです。

文字を持たないアイヌは算術も得意ではなかったでしょうから和人の商人にいいようにやられていたことは容易に想像できます。

そのシゲさんも北海道と津軽を連絡船で往復して地産品を運んで商売をしていましたが関東に出てきて住み込みで箱根の旅館で働いたり、高級官僚の家政婦をしたりと働き続け江戸川区平井にたどり着き慢性の頭痛持ち(本人曰く「ノーシン中毒」)で僕と出会います。

頭や背中の反応点にお灸をすると頭がすっきりして鍼灸治療で風邪をひかなくなったと言ってそこから常連の患者さんになりました。

常連の患者さんになると治療をしながら「最初のギックリ腰はねぇ…」などから始まってその人の昔の話を聞けるのが面白く、民俗学者の宮本常一の本を読んでいるかのようでとても興味深いのです。

その明るいシゲさんも杖をつくようになり、押し車になり、通うのが困難になり依頼され今度は僕が訪問して治療していました。

ドネペジル塩酸塩(アリセプト®)やらメマンチン塩酸塩(メマリー®)やらが処方されるようになって間もなく夜中に「トイレさ童(わらし)っ子いたから外で(用足しを)しようと思ったら」玄関からたたきに落ちて骨折して入院。

その後、古里に帰って施設に入ったそうですがしばらくして亡くなったようだと近所の患者さんに聞きました。

どこにでもいる、しかし絶対に二人といない普通の高齢の患者さん一人一人にも当然それぞれ一生懸命に生きてきた人生があります。

その出来事、思い出の一つ一つをリスペクトしつつ症状をよく聞いて丁寧に経穴(ツボ)を選び鍼を刺しお灸をする。

患者さんに満足してもらっているかは自信はありませんが、真摯に向き合うことがこの仕事の神髄であり醍醐味でもあるのです。

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