消えない痛みとどう向き合うか

医療トピック

痛みの強弱や度合いを測定、比較することは実はとても難しいと言えます。それは個々に痛みの感じ方が違うからということに他なりません。鈍感な人、敏感な人、大袈裟な人、我慢強い人などによって「痛いんです」という一言でも全く違ってきます。

その為、全く痛くない状態を 0、これ以上無いという位の痛みを 10として現在の痛みを表すVASという方法が一般的によく用いられます。視覚的(Visual)にアナログ(Analogue Scale)で客観的に表すことで「痛い」がどの程度か比較、評価が可能になります。

患者さんでも、ただ痛い痛いと訴える患者さんに限って痛みのデータ(初発、期間、時間、場所、強さ、体調)を尋ねても記録してない為に短期間のあいまいな記録しか残っていない場合もよくあります。

カルテの記録を見てこちらが確認すると「あーそう言えばそうだったか」と思い出すという感じです。

こういう人は薬に対しても同様で自分が服用している薬にも関心、興味も痛みのせいなのかその余裕もありません。

クリニックで「痛い」→ロキソニン➡別な整形で「まだ痛い」→リリカorタリージェ➡総合病院で「まだ痛い」→トラマドール➡「まだ痛い」→+サインバルタといった感じでしょうか。

ただ痛いことだけに注目、執着してしまうと、更にそれ以上の鎮痛薬を求めがちになるので結果としてドクターショッピングを繰り返し、抗うつ薬数種類というところまで行きついているという感じです。

そうして痛みが無くならないことを受容できずどうにかしてくれと鍼灸治療を選択します。その前にペインクリニックを挟んでいることも多々あります。

痛みの訴えが多いので日々の痛みの詳細や体調気持ちの変化を一行でいいから記録するように指示するのですが「私そういうのダメなのよ」とその辺は全く拒否されます。

自分の体調をモニターするのは努力以前のことだと思うのですが。そういう患者さんにどれだけ強い薬が出されているか説明しても「そんなことは私がコントロールできない」と言われてしまいます。確かに。

なぜ痛みなどを記録するのが大切かというと、文字にして残すという時点で客観的に症状と向かい合うからです。これは昨日より強い痛みだとか、寝ている時は痺れの方が気になるだとか、痛みが強いのは昨日出かけたからだとか、今日の痛みは一日中じくじく続いただとか・・・そんな感じでいいのです。

そこからまた自分自身やそれを伝えられた医療者が何かに気付くかもしれませんし、同じ症状が以前にもあったことや時間の経過や原因、誘因となる何かに気付くかもしれません。記録(レコーディング)は意識することでとても大事なのです。

他人任せだと現状把握も甘く、自分の身体のことであるにもかかわらず他人事のように無関心です。

ガイドライン通りの治療で治るもの、つまり、薬を飲めば治るもの、悪い部分を切除すれば治る、そういう疾患に関しては医療者任せでもいいのでしょう。

しかし、線維筋痛症をはじめ難治の慢性疼痛のような現代医学でも解決を望みにくい、もしくは様々な要素が入り組んだ難解な愁訴に対しては痛み、苦しみから逃れる薬物療法だけに終始することになってしまいます。

もちろん、それで折り合いさえついていれば何の問題もないのですが。

痛みと向き合うということは何故こんなに痛いのかと痛みを冷静に分析するということでもありますし、結果的にそれは認知療法であるとも云えます。

なかなか消えない、対応できない痛みを他人任せにせず逆に冷静に見つめることによってそこからまた新たな対処法、向き合う心の変化が見つかることもあると思います。

それでもやっぱり疼痛をコントロールできなくて強い薬になってしまうことも少なくありませんし、僕のところにせっかく来院してくれても結果を出せずに期待を裏切る場合も決して少なくありませんが。

線維筋痛症に対して太極拳が現在の標準的治療である有酸素運動に対して同等または上回る効果があったという論文がアメリカ(ボストン)のグループにより発表されたという記事がありました(メディカルトリビューン2018.5.4)。

やはり、ヨガ、瞑想、座禅などもそうですが、ゆっくりとした深い呼吸(とゆったりとした身体への刺激)はいい影響をもたらすようです。

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