修業は無駄なのか

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以前、ホリエモンの 「すし職人の何年もの修業は貴重な時間の無駄」 だという意見が賛否両論、ネット上で話題になりました。

板前学校があってそこで3か月で基本を学べばそれで十分だというのです。美容師にしてもカットさせてもらうまで助手やらシャンプーやら雑用やらで数年経過ってどうなの?など、その類の話はいろいろあります。

この話題でなぜそんなに燃え上がってしまうのかと言えば、一つはその人の能力、そしてもう一つは消費者それぞれが求める技術、サービスによってこちら側に求められるものが違ってくるからなのだと思います。

前者はホリエモンほどのやる気と能力があれば確かに3ヶ月で大丈夫かもしれませんがごく普通のやる気と能力の人間ではそうはいきません。普通の人間はそれ相応の時間で学んでいくものだと思います。

同様にやり手の何店舗も経営する美容師にとってはその修行と言われる長い時間がとても貴重で時間の浪費に過ぎないと思われるかもしれません。

そういう人たちは放っておいても早くに引き上げられるか独立します。能力が高いのでそんな状態に黙っていられないからです。これなら自分でもできる、もっとこうすると。

後者は3か月の板前学校だけで外国で寿司レストランをオープンして成功した例を彼は挙げていましたが、美容師でいうと1000円カットと高級ヘアサロンの違いと言えるのかもしれません。

つまりどの職業でもそうで、その人それぞれの能力、提供するサービスへの考え方に依存するので長い修業がいいとか悪いとかは一概に言えないのです。

鍼灸師にしても僕は開業するまで7年ほど時間を要しました。鍼灸院、整形外科また鍼灸院で7年です。開業した後もベッド一つのまま施術者一人のままで、文字通りひっそりともう23年やっています。

でもこれがそれこそ僕の能力でありキャパシティで最善だったのです。

7年が長すぎるかと言えば、僕のやる気と能力では7年だったとしか言いようがありません。3年では開業してどうだったか、では5年だったらどうだったか…と考えることに意味はないでしょう。流れ着いた先が正解、最適解とすればいいのです。

そしてそれをそうだったと思えるように日々精進していく、最適解にすり合わせていくという作業で20年以上経ってしまいました。

人それぞれ、個々の能力があります。ホリエモンは大学に行くのに意味はないから早く自分の好きなことをするべきと言っていますが、自分のしたいことが無い者にとっては大学というモラトリアムを得るしかなかったのです。

やりたいことさえ見つかっていればそれを追いかければいいのでしょうが。

僕もそれを見つけるのに身体を壊すまで働いた浮かれまくったバブル景気が必要でした。

皆、ホリエモンのように若くして大きな富と名声を得ることのできる才能を持ち合わせてはいません。圧倒的にほとんどの人間は彼にはなれないのです。

しかし、自分の器を知ることによってそこでそれなりの花を咲かせることは全ての人に可能です。

無関係な業種のサラリーマンを8年、修業7年、開業23年でこんなものです。そして今も修業中なのかもしれません。

 【修業】 学問、技芸などをならい修めること。「修行」は仏道に励むことを主にいうが、それに対して「修業」は学問、技芸などをならい身につけることをいう。(三省堂スーパー大辞林)  そうですね。確かにまだ修業中です。

この程度の能力なのです。それでも23年患者さんに恵まれてやってこられました。だから長い修業も無能な人間には、それだけ時間がかかる能力なのだと思えば、無駄ではありません。能力相応に修業も与えられるものなのです。

ごくごく普通の人間は自分の能力を過信せず努力するのが決して近道ではありませんが自分の中での成功への道なのだと思います。明日の事だってわからないのですから。

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