想像力、ヘルメットと前抱っこ

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『他の動物たちが人間に対抗できないのは、彼らに魂も心もないからではなく、必要な想像力が欠けているからだ。ライオンは走ったり飛び跳ねたり、鉤爪で引っ掻いたり、噛みついたりできる。だが、銀行口座を開いたり、訴訟を起こしたりはできない。そして、二一世紀の世の中では、訴訟の起こし方を知っている銀行家のほうが、サバンナで最も獰猛なライオンよりもはるかに強力なのだ』 「ホモ・デウス 上」 ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社

以前「前だっこで自転車は危険」を書いて以降も雨の日の傘(当然片手運転)で前抱っこなどは論外としても、そこらじゅうで自転車で前抱っこを見かけます。どうして普通に乗れてしまうのかをしみじみ考えてみたのですが「想像力」の乏しさではないかと思うのです(イヤホンで自転車の人も同様)。

住宅街の見通しの悪い十字路を自転車で走って来て減速しない人はいないでしょう。それは出合い頭にぶつかるかもしれないからです。これは誰でも想像できます。これはかなり高い確率なので想像できるのです。

しかしこれが「転倒」となると確率がかなり低くなるので想像できなくなるのだと思います。ヘルメットを着用させずに前後に子供を乗せるのも、転倒するなど考えもしない、転倒の低い確率を無いものとするその影響だと思います。

しかし、オートバイのヘルメット着用が義務化され、いやいや被るヘルメットで、シートベルト着用が義務化され面倒だけれど締めることでどれだけの命が救われたかわかりません。命にかかわらなかったにしても多くのシリアスな怪我から身を守ってくれていると思います。

しかし、生命保険の様な多額のコストがかかる対策ではないのに、確率が格段に低くなる(自分で想像できない)と見えなくなってしまうようです。

この逆(確率の過大評価)が宝くじです。確率(期待値)を理解している人は「愚者に課せられた税金」と考えて手を出しませんが、宝くじを買う人は期待値は度外視した殺し文句「でも買わなくちゃ当たらないでしょ」と言います。確かに。

しかし、参加者の殆どの圧倒的大多数で胴元(国)とごくごく少数の当選者を支えているのです。これは生命保険も同様のシステムです。圧倒的大多数で胴元(保険会社)とごくごく少数の不幸な人(の家族)を支えています。

宝くじの時は多額のコストをかけて限りなく小さい確率を過大に評価し、子供乗せ自転車の時は想像力の乏しさ、忙しさの為にコストがかからないおぶるだけ、ヘルメットを被るだけなのに少ない確率を無いものとそのまま無視しているのです。

十中八九いやそれ以上大丈夫でしょうが、何とかあの無防備で抱えられている前抱っこの赤ちゃんやノーヘルの前バケットの小さな子供たちが転倒事故に遭わないで成長できるように道ですれ違う度、老婆心ながら思ってしまうのです。

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