大正11年生まれ。転倒による大腿骨頚部骨折以降訪問治療になった98歳女性。6人姉弟の一番上なのですが最後まで残ったのは彼女一人でした。下の五人が生まれた時も知っていて亡くなる時も見送り、「そういう損な運命なのよ」とあきらめ気味に言ったのが印象的でした。
いわゆる霊感の強い人で、一番気の合う妹が三十そこそこで亡くなる時も「朝早く会いに来た」という話も聞きました。入院したある病院ではベッドの周りにいろいろな知らない人がいるので部屋を変えてもらったと言っていました。
子供の頃、手拭いを干す時などにやるようにバサっとやったらそれは人を斬った時の音だから絶対にやっては駄目だと慶応生まれのお祖母ちゃんに叱られたそうです。
御主人を40年前に亡くされていて、子供さんもいません。「かくしゃくたる老人」とはこの人の事と云うのだという位の頑固ともいえるしっかりした人でした。
治療をしながら昔の話を聞くのが楽しみでいろいろ話をしているうちに人生経験の豊富さに、治療を忘れて昔話を聞いてばかりしている時もありました。
戦前戦後の上野、浅草の事に明るく、彼女の14歳年上の沢村貞子の『私の浅草』や『私の台所』を読んだのを思い出しました。
倒れる前の週も『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』荒俣宏著 KADOKAWA刊 に以前この患者さんのお父さんが好きだったと聞いていたうさぎやの「喜作最中」の初代谷口喜作と親友芥川龍之介の話が出ていたので話題にしたばかりでした。
昔から薬嫌いで、そもそも基本的に健康だったこともありずっと医者知らずでしたが、さすがに90歳を超えると血圧が高くなってきました。降圧剤のバルサルタン20mgから40mgへ。それも効かなくなり80mgへ変更。
血圧は下がりましたが「却ってフラフラして嫌だ」と結局やめてしまいました。フラフラしてまで薬を飲みたくないと。高齢者ではよくあることなのですが高い時の方が自覚症状がないこともよくあるのです。
治療に行くたびに血圧計を持参して測定していましたが180㎜近辺のことも時々ありました。本人はそれでいいと言っていました。「もういいのよ」と。
倒れる前日も特に変わりはなくはっきりしない気候を嘆いていました。昨日は血圧が高くてデイサービスの風呂には入れずシャワーだけだったと。ちょうど、(降圧剤を)飲まないなら薬局に引き取ってもらいましょうかと話をしたところでした。
夕食を届けた弁当屋さんが発見。視床出血(脳出血)でした。それから2週間後に亡くなりました。
15年の長きに渡って信頼してもらい治療させてもらいました。そして貴重な話を聞かせてもらいました。降圧剤の服用を拒んだことでこうなることは必然だったとも言えますが生命がいつか終わることはそれ以上に必然です。
責任感の強い長姉であったでしょうから本心から損な運命だとは思ってはいないと思いますが、彼女にはそれを凌駕する毅然とした覚悟と意志がありました。
生まれて生きて死んでゆく。ただそれだけのことですが、そこに人それぞれの濃厚な人生があるのです。
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