みうらじゅんといえばテレビを見ていた時代は「タモリ俱楽部」で見ていましたが、この十数年はYouTubeしか見ない生活になりました。
時々古舘伊知郎や、山田五郎のチャンネルで見てはいたのですが先日、文藝春秋のチャンネルなどで久々に見て相変わらず魅力的な語り口に惹きつけられました。
相変わらず内容が無さそうで実は深い話だと感心したのでみうらじゅん的生き方、具体的な加齢との向き合い方について考えてみたいと思います。
「マイブーム」「ゆるキャラ」「親孝行プレイ」などの秀逸な言葉の発想や他の人が興味の無さそうなものをコレクション(これを“集活”と云う)などありますが、街の看板の文字(の写真)だけ集めて般若心経を完成させたり、仏像に関しても詳しく、他愛もない下らなそうな話なのですがその中に真理だなあと感じ入ることが多いのです。
つまり人生、生きること全てはそういうことなのではないかと、難しく考えていることも実は単純なところに答えはあるのだという仏教的でもあり哲学的でもあるが、その難題の答えをウィットに富んだくだけた形で提示をしてくれるのに気付かされのです。
若づくりは他人から見たらみじめでみっともないと逆に「老けづくり」をススめる。
病気、貧困、孤独等々不安なことだらけだがあえてそこで「不安タスティック!」と声に出すことでこのネガティブな気持ちが昇華される(らしい)とのこと。
「老いるショック」と名付けて笑って受け入れる。
例えば耳鳴りのことをあえて「耳ゼミ」と呼びこのセミは何というセミの鳴き声なのだろうかとわざわざ調べて楽しむなど。
どうしたらその境地になれるのかと聞かれた答えが「そう呼んだら滑稽さがそこに出るから」と。
何故そうするのかと聞かれた答えが・・・「それしか道がない」。
深い・・・。受容なのです。
それまで耳鳴りで耳鼻科にかかり、そこで医師に「それは気になさらないで下さい」と言われているのです。
気になるから耳鼻科を受診しているというのに医師のこの答えです。バッサリ。受け入れるしか道がないということなのです。
だとすれば面白くしてしまおう、してしまうしかないという対応法なのです。
一般的には耳鳴りに効くクスリ、サプリなどという広告に釣られ、膝の痛みでも尿漏れでも性機能障害でも同様なのですが・・・加齢によって起こるほとんどすべての事象は逆らおうとするから辛いのです。
長く生きていく上での様々な変化(≒老化)はごく自然なことで致し方ないのです。
であるならありのままで、あるがままで“楽しむ”しかないのです。
「この先本当にボケた時のために今からボケの練習をしておかないといいボケができないから」と。このくらいの感じがとてもイイのです。
参照:「アウト老のすすめ」みうらじゅん 文藝春秋
「アウトドア般若心経」みうらじゅん 幻冬舎
「マイ仏教」みうらじゅん 新潮新書



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