ずいぶん前に村上春樹のエッセイで読んだと思うのですが、何かに悩んでいる人に簡単にこちら側が考えた解決策を提示するより、ただ黙って一緒にいてあげることのほうが大切な時もある、というようなニュアンスの文章を読んだことがありました。
他人から与えられた無難な一般論よりも自分なりにじっくり考えて答えを見つけ出す方が数段価値があるだろうという風に受け取りましたが、日々の治療においても似たような思いをすることがあります。
何かの愁訴に対して予後を予測するのは沢山のエビデンスがありますし経験上でもそれほど難しいものではないのですが、それをそのまま言っても患者さんも「なんだ治せないのか」「そこをなんとかしてよ」という感じになります。
先日来院した70歳代掃除のパートをしている女性。主訴の膝の痛みに関して歩様や触った感じではまだ明らかな関節の狭小や変形はありませんでした。
しかし、ここ最近の仕事減に伴う体重の増加もあり、それに対し日常的な体重管理≒測定を指示しました(タニタの体重計をアマゾンで代理購入)。
家族歴のある糖尿病があるのですが医師任せの服薬だけの為に検査結果が悪化していることを伝え、炭水化物の摂取や食後のお菓子などを控えてHbA1cを意識することの大切さを伝えました。
微妙に後弯してくる胸椎上部(≒猫背)に関しては肩甲骨内側の強い凝りがあったため寝る前など定期的に胸椎を伸ばす、背中を緩めることの大切さを伝えました(中山式快癒器をアマゾンで代理購入)。
この二つで5千円程度の投資は、ただ同額のサプリメント(らしきもの)を飲んでいる人とは比較にならない程価値がある投資です。
椅子を使わない和式の生活習慣のため正坐は避け、日常で可能な限り痛みを出さない生活をすることを指示しました。
仕事中はあちこちにサポーターを使用しているため、掃除の仕事はまだ続けられそうですが、自分の体質、リスクを自分なりに理解しているのと医者まかせにしているのとでは同じ薬を服用しているにしても大きな差があると思います。
仮に予後が同じだとしても自分の身体の変化に対する予測、用心と対策があるのとないのとではその先の心持ちが全く違ってくるでしょう。
鍼灸治療で心身を微調整しながら生活習慣を見直し、その最適解への道をともに導き出していきましょうというのが鍼灸師の私の役割だと思って日々臨床に励んでいます。
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