以前から自律神経の失調から心身症やうつ症状を訴えて鍼灸治療を選択する患者さんは一定数存在するのですが、そういった愁訴で来る患者さんのパーソナリティに共通するのは、生真面目な性格であるということです。
日常でこれがいい方に作用している間はもちろん何の問題も無いのですが、何かのきっかけでその逆の作用が出だすと「真面目過ぎて」心身に不調をきたすことになります。
生真面目ゆえ攻撃的な上司としては叩きやすく、本人は上の期待に応えようとして無理をして自分を犠牲にし、弱音を吐いて助けを求めることを潔しとしないのです。しかしそれは早晩破綻します。
そんな折、『円谷幸吉 命の手紙』松下茂典著 文藝春秋 を読みました。
あの有名な心を打つ遺書については知っていましたが、長兄(故人)の実家から新たに発見された大量の手紙や丁寧な取材で幸吉の人となりと、少しずつ、しかし確実に追い詰められてゆく様が手に取るように理解できました。
それだけに患者さんの辛い経過の話を聞いているような居た堪れない気持ちになりました。
やはり幸吉も生真面目過ぎたのだと思います。だからそこまで自分を追い込んでいったのです。
新任の体育学校長の今風に言えばパワハラ人事によって二人三脚で信頼していたコーチを北海道に飛ばされ、婚約者との結婚も校長の高圧的な横やりで流れてしまい公私とも孤独になり本来なら休むべきところを逆に練習に自分を追い込んで更に故障を悪化させ、悪循環にハマっていきます。
彼が弱かったのだという蛋白で単純な見方もありますがそれは挫折を経験していない、もしくは精神的に余裕のある第三者的意見であり、彼はやはり真面目一途だったのです。
自殺の9か月後、メキシコオリンピックのマラソンで銀メダルを獲った君原健二氏の答えが簡潔に核心をついていると思います。
「私も円谷さんも大きな組織でしたが決定的にちがったのは円谷さんが自衛官だったこと、つまり国を守る仕事をしていたということです。円谷さんが背負った十字架はここにあったと思います。結果的に最後のレースになった広島県営陸上競技場の控室で話をしたとき、円谷さんは『メキシコオリンピックで日の丸を掲げるのは、国民との約束なんだ』と呟き驚きました。円谷さんの頭の中には、いつも日本と日本人があったのです」
この本を読んでいくと記録、体調ともに東京オリンピック時が彼のピークだったということがわかります。しかし不幸にも一人になってしまいそれを客観的に考慮に入れられず回りの期待に応えようとしてボロボロになってしまいます。
こういった悲劇を回避するのはやはり自分一人ですべてを抱え込まないこと、そして信頼できる人のアドバイスを求めること。これが当たり前すぎるかもしれませんが基本だと思います。
もちろん、精神科に行けるならそれも構いません。残念ですが彼はそういった点でとても不運だったと思います。
日々の臨床でも生かすことのできる示唆を与えてくれた、とてもいいノンフィクションでした。
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