江戸川区で仕事をしている時には午前中は外に出ないので保育園児に遭遇することはありません。
木曜日に国分寺の患者さん宅へ治療に行っているのですが、10時15分頃に国分寺駅に着きます。
そこで毎回、駅のコンコースや駅前辺りをお散歩する保育園児の集団を見かけるとつい目が行ってしまいます。
東京経大への坂を下っていくとそこにも保育園があり、そこでもお散歩に遭遇することが多くそこでも微笑ましく遠巻きに眺めつつ患者宅へ向かいます。
他の人は普通に行き来しているようですが僕はどうしても目が行ってしまうのです。電車の中でおばちゃんが知らない赤ちゃんを思わずあやしてしまう様に。
不審者と思われるといけないので勿論そんなことはしませんが。そして毎回、無垢そのものの彼らを見ていると鼻の奥がツーンとしてしまうのです。
うなじが日焼けしないような仕様のおそろいの帽子をかぶって二人ずつ手をつないで何人かの保育士の先生に引率されてお散歩する彼らを見ていると朝っぱらから涙腺が緩んでしまうのです。
言葉としては「元気に大きくなってね」という感じなのかと思いますが、穢れが無さ過ぎて可愛すぎて涙が出そうになるのかもしれません。
3年前の2019年5月そんなお散歩中の保育園児たちが犠牲になる辛い事故が大津市でありました。
ネットで話題になっていたのですがグーグルのストリートビューでも事故現場で信号待ちする保育士3人と保育園児10人くらいが映っていました。
きっと午前中のあの時間辺りにグーグルの車が通って撮影されたのでしょう。
ちゃんと道路からいちばん離れた歩道の端で保育士さんに守られるようにして手をつないで固まって信号待ちをしています。
しかしガードレールも電柱もないので無防備と言えば全くその通りです。事故当日もまさか想像力の乏しい運転手同士が偶然遭遇して車が突っ込んで来るなど思いもしなかったでしょう。
その前にも池袋で痛ましい事故があったばかりでした。御主人が気丈に会見をしていましたが。近年では年間3500以上の人が交通事故で亡くなっています。
毎日約10人が犠牲になっている計算ですが日本は歩行者の犠牲が先進諸外国より突出しているそうです(ダイヤモンドオンライン 窪田順生氏)。
運転者、同乗者は安全なのですが丸腰の歩行者が犠牲になる割合が先進国でダントツなのです。
車に乗っていないのに交通事故に巻き込まれた被害者の悔しさ、家族の悲しみはいかばかりか言葉になりません。
以前にも書きましたが3.11の2万人近くの人もまさか今日で人生が終わりだなんて思って朝起きた人はいなかったでしょう。
この大津の事故にしても親御さんは連休明け二日目であわただしく保育園に朝送り届けて「じゃあ夕方ね」という感じだったと思います。
免許証を定年制にするとか直進と右折の信号を分けるとか各論としてはそれぞれ対策がなされていくのでしょうが、だからと言ってすべての事故や不幸が無くなるものでもありません。
では、どうしたらいいのか。僕たちに出来ることは、だからこそ今、この時を大切に生きるしかないのです。
この今の幸せは昔話の様に「いつまでも幸せに暮らしました」ということは不可能なのだという前提で、毎日を悔いなく一生懸命生きるしかないのです。
亡くなった短い命とお母さんの魂がどうか安らかに眠れますように。そして天国で、残されて悲しみに暮れる家族を励まし見守ってくれることを祈らずにはいられません。
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