以前「今日はどんな日でしたか」という質問に対して「いい日だった」と答えた日本人の割合が国別でいうと調査した43か国中最下位だったという統計が出ていました。(Pew Research Center)
たった8%。(ナイジェリア58%、アメリカ41%、フィリピン42%)、幸福度でも先進国では最下位だったということです。もちろん多くの日本人は「いや、あえていい日とは言わないけど普通の日でした」(「普通だった」は89%で43か国中最多)と答えているようですが、他国の人は普通の日だったけれどそれを「いい日だった」と少なからず感じてそう答えているのだと思います。
好きなものを食べることが出来、雨風もしのげて、治安もよく、小綺麗な恰好が出来て、快適な寝床で一日を終えることが出来ても「良い日だった」と言えない日本人の控えめに答える国民性なのか、戦後75年を経て「幸せ」に対する感覚の鈍麻、「幸せ」閾値の上昇なのかの判断は難しいところではありますが。
しかし、大病をした人、病気と闘っている最中の人ならどう答えるでしょうか。「普通の日」は決して当たり前に継続的に存在するのではないと痛切に感じた人にとっては「ごく普通に過ごすことのできた今日」は心からかけがえのない「良い日、幸せな日」だったと感じられるはずです。
3.11を体験した私たちも、どうということのない「普通の日」が如何に貴重で有り難い「いい日」であったかを理解できることと思います。いい日だった、幸せだと感じることができる心の持ち方、謙虚な気持ち。
子供の頃読んだ童話に、占い師が言った「この国で最も幸せな人の上着を着せたら王様の病気は治るだろう」というお告げで家来たちがさんざん探してやっと見つけた「あ~、今日も一日幸せだったなぁ」と言った『最も幸せな人』はシャツも着ていない馬小屋の藁に寝ている貧乏な人だった、というのがありました。
そういうことなのでしょう。実は幸せはそれぞれの心の中にあるのです。今日のように過ぎ去ってしまったら永久に思い出せないであろうごくごく普通の日だとしても、明日もまたこういう日が訪れるのかどうかの保証はないのです。
『「今日もすてきな一日だった」熊本地震の「本震」で自宅の下敷きとなって亡くなった熊本県西原村のサツマイモ農家、大久保重義さん(当時83歳)が50年以上つけていた日記はこの一文で締めくくられることが多かった。無くなる直前の日記も〈28年4月15日 晴 夕方苗切り(中略)今日もすてきな一日だった〉』 読売新聞2017年4月16日
彼は数少ない8%の人でしょう。次の日の朝を迎えることはできませんでしたが。人は必ず一度死にます。一日一生。きっと日々充実した“すてきな人生”であったに違いありません。
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