伴侶を亡くすということ

仕事

70代後半女性。脳血管障害による軽度の右下半身麻痺でリハビリ病院を経てからの退院でした。

几帳面な性格もあって復帰後の頑張りすぎなどで麻痺側のぎっくり腰になってしまいました。

訪問看護師からの依頼で治療することになり訪問治療に通っていました。

年下のご主人が代りに買い物に行ったり、文字通り手足となって動いてくれていたのですが突然亡くなってしまいました。

工事現場の警備の仕事をしていて、その日僕は夕方に治療に行っていました。

「帰りが遅いですねえ」と話していたのですが、後になってみるとその時にはもう亡くなっていたのです。

身体の調子もよくない上に支えとなってくれた御主人を突然亡くし心細く心労も重なり治りかけた腰どころか背中や反対側の腰にも強い痛みが出て全身の治療になってしまいました。

その患者さんを訪ねる度、玄関先にはご主人の大きな靴が置いてあるのが目に入ります。

亡くなっても表札に名前はそのままという人は多いですが、玄関に靴があると御主人がまだいるような気がします。

伴侶を亡くす悲しみはその夫婦それぞれ違うと思いますが、朝仕事に出て行って警察から電話が来るという別れもあまりに突然すぎます。

あまり仲は良さそうに感じませんでしたが50年も一緒にいれば仲がいいとか悪いとかそんな次元でもないのかもしれません。

でも、亡くなってしばらくは何度か言っていた御主人への恨み言もだんだん少なくなって先日、四十九日法要が終わったとのことでした。

四十九日は「大練忌(だいれんき)」ともいわれ、亡くなった人がいない日々を大いに練習しました、これでもう一人でも大丈夫という意味でもあると僧侶に聞いたことがあります。

しかし、ふとした時々に長年当たり前のように連れ添った相棒がいないことを意識させられる瞬間。

治療中に本人も誰に言うでもない感じで漏らす一言の詮無い感じにこちらもなんとも答えようのないやるせなさが漂います。

ふとした疑問に何でも答えてくれた人がいない、共通の思い出を話す相手がもういないという現実。

些細な事を思い出す度にそれこそ、その辺にある一つ一つのもの全てが思いのあるものだったりするのです。

時間が解決してくれるとはよく言いますが仲が良かった夫婦ほど、また体力的にもそこから一人の生活を受け入れやっていくのも容易ではありません。

そんな折に読んだ小池真理子の伴侶(小説家の藤田宜永)を亡くしてからの日々を綴ったエッセイは、失った悲しみ寂しさを数々の思い出とそれと対照的に少しも変わらない軽井沢の季節とともに描かれていて切ない追悼エッセイでした。

参照:『月夜の森の梟』 小池真理子著 朝日新聞出版

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