一生のうちに二人に一人ががんに罹患し、三人に一人ががんで亡くなる現代でもがんと診断されると「なぜ私が」と思ってしまう様に自分だけは大丈夫という根拠なき楽観的思考があることがときどき話題になります。
なぜ私が。理不尽。他人に突然危害を及ぼされる暴走車による交通事故などその典型ですが、理不尽といえばこんな理不尽なことってあるのかと強く思われたのが、2007年の名古屋で起きた闇サイト殺人事件の被害者、そして遺族なのではないでしょうか。
詳細は書きませんが残された母親を中心に犯人三人への死刑を求める33万人の署名を集め一審で二人に死刑判決が出ますが(一人は無期懲役)、一年半後の二審ではそのうちの一人が無期懲役に減刑されてしまいます。
その判決の根拠が、弁護人の呼んだ50歳代女性臨床心理士(大学教授)の精神鑑定で被告は「穏やかで素直でお人好し」という判定(と永山基準の壁)で、さらに一年三か月後、最高裁でもそのままの判決で確定してしまいます。
ところが。まんまと死刑を逃れたはずのこの被告は、なんとその20日後にこの事件で採取された犯人のDNAから迷宮入りしかけていたそこから14年前の「碧南パチンコ店長夫婦殺人事件」の犯人として逮捕され、その後の裁判で今度こそ死刑判決を受けます。
僕が強い違和感を禁じ得ないのは、この何の役にも立たなかった犯罪鑑定人なる臨床心理士の「犯罪に親和性がない」と判定できてしまう精神鑑定能力です。
14年前に起きた別の殺人事件の冷凍保存された枝豆の殻が残されていなければ、人を殺すことを何とも思わない殺人鬼を「攻撃性はそれほど強くない」と判定したままでした。世間もそういう認識でいたかもしれません。
犯人は現在からは24年前のこの時、DNAや指紋を残さない為に上がり込んだ家で軍手をはめたまま食事をし、皿やコップ、吸殻は持ち去っていました。
しかし小さい息子を守りたい一心で酒や肴を振舞い陽気に接した被害者の知恵と勇気が枝豆に唾液のサンプルを残し、結果的に14年後のこの犯罪鑑定人の判定の間違いを指摘することになります。
所詮、机上の犯罪心理の専門家というのは平気で人を殺す殺人鬼に対してはこの程度のものでしかないのかもしれません。
さんざん研究したはずの学者が三度の強盗殺人(一件は未遂)を繰り返した男に「矯正の可能性は十分にある」と判断するのです。
『鑑定人によると被告に殺意はなかったという。本当に殺意があれば(ハンマーで)三発も殴る必要がないはずということであった。』・・・580gのハンマーです。
僕がこの全くの大外れだった犯罪心理鑑定人の鑑定を自分の為に何か生かせられるとすれば、それは自分の少ない知識で解ったふりをせず、先入観を捨て常に自分の判断は間違っているという前提で患者さんの症状を聞き、身体を触り見て治療方針を立て治療すること。
そしてその結果を客観的に評価し見直しをしてアジャストし直す、それを繰り返すという謙虚なうえにも更に謙虚で地道に向き合う姿勢を忘れないということではないだろうかと思うのです。
参照:『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』 大崎善生著 角川書店
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