元花柳界と思われる人

仕事

平井は戦前戦後の時期は江戸川区で最も栄えていた場所らしく、映画館も数軒あり駅前には三業と呼ばれる地域もありました。

三業とは料理屋、芸者置屋、待合の三種の営業が許可されている区域の俗称です。その名残をかすかに残すエピソードです。

もう二十年前の開業当時の話です。下肢の痺れで治療した80歳代女性と丁度入れ違いに入ってきた肩から背部痛の70歳代の女性。予約制なので患者さんが入れ違いに治療室に入ってきます。

治療中に「さっきの人は堅気の人じゃないわよ」と。「銭湯でよく会うんだけどあの人のオシロイのたたき方はフツーの人じゃないわよ」と。

僕もその言動や本人から「15の頃から煙草を吸っていた」など聞いていたのでさもありなんとは思いましたが。

もう一人は何匹の猫とともに自分の持つ古いアパートに1人で暮らす腰下肢痛で来院していた80歳代の女性。臨床25年、患者さんからの質問で最も驚いたので覚えています。

外見的には普通の典型的な“小さな老婆“だったのですが、何回目かの治療後に「たくさん性交渉をしてきた人は長生きできますか?」というような質問をされました。

いやいや、もう十分に長生きしているじゃないですかと思いましたが、同時に彼女の突然の予想もしていない質問に動揺した僕は「感染症さえもらわなければ別に云々」といったしょうもない返答をしたと思います。

結局当時治療していたこれらの患者さんはもう今となっては亡くなってしまったか、来なくなってしまったのでもう治療をすることもありません。

しかし、戦後の上野であの3月10日の空襲で家と親を失って地下街に来るしかなかった浮浪児と呼ばれ嫌われ者だった戦争孤児達にいちばん優しかったのは同じ境遇のパンパンのお姉さんだったという話を、勝手にこれらの患者さんに投影させて読むと、彼ら彼女達もあの時代を精一杯頑張って、そして生き残ってきたのだなあとしみじみ思ってしまうのです。

参考:『浮浪浮浪児1945 戦争が産んだ子供たち』 石井光太著  新潮社

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