一日一生

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平和な時代に生きる私たちにとって幸せな明日は当たり前のように来るものだと思っています。

79年前の話ですがこの平井辺りも焼け野原になった3月10日未明の東京大空襲で一晩にして亡くなった10万人もの人々は頻繁に空襲警報が鳴る戦時中末期だったとはいえ、寝床に入る時に明日の朝を迎えることができないなどとはまさか思っていなかったでしょう。

戦争のない平和な時代となったほんの13年前の3月にしても東北地方の太平洋沿岸の1万8千人余りの人は誰一人として、まさか11日の朝目覚めた時にそれが最後の朝になるなど夢にも思わなかったと思います。

皆、他人事のように考えがちですが交通事故でも全国で一日あたりにすると9人が亡くなっていることになります。運転していて亡くなる人ももちろんいますが、道を歩いていて何の落ち度もない人が巻き込まれることもあります。

子供の通学路などの事故を聞くと本当に心が痛みます。朝「いってきます」と出ていく時にまさか帰ってこないとは自分も家族も思うはずもありません。

こんな不条理なことがあっていいのだろうかと思う様なニュースも全国のどこかで毎週のように起きています。

何の根拠もなく明日も今日と同じ平穏な日が訪れると安易に思ってはいないでしょうか。何気ない普通の日々がずっと続くこと。確かにそれは高い確率かもしれませんが、決して当然のことではありません。

また、今日と同じ日々がずっと続くこともありません。

生き死にではなくても病気、怪我や会社の倒産、リストラ、トラブル等々「まさか」というのはすぐ身近に潜んでいると思っていた方が自らを戒めるきっかけ、心構えになります。

「朝起きて寝床を離れる時、今日が人生最後の日だと思え。そうすればいざというとき慌てることはない」 藤堂高虎が子供に残したという僕の好きな言葉です。

結局、一日一日を大切に生きること。その積み重ねが夜、一日という人生をやり切った満足感と感謝とともに寝床に入り、朝、また新しい一日という人生の始まりに希望と感謝とともに目覚める。その単純ともいえる繰り返しが理想だと思うのです。

いつ生きるか死ぬかの場面に出くわすかわからない。それが人生なのだから決してなめてかからず甘くみず、心して有難く生きていきたいと日々思うのです。

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