かなり前ですが、AERAという雑誌に「代謝アップで5㎏やせる」という特集がありました。永遠不滅の企画だなあと眺めていました。「1分の運動とお風呂だけ」「肉たっぷりで6キロ減」などとあります。
ボディワーカーとやらの森拓郎氏の紹介に「運動至上主義のフィットネス業界でダイエットは食事改善が最優先と主張、著書累計90万部」とありますが基本的なことをいうとダイエットというのは適正な量の食事療法ということです。最優先も何もそれしかありません。
そもそも、エクササイズ用自転車、昇降ステップ、ジムやヨガ、腹筋、腕立てなど筋トレをそれ自体を好きでやっている、それ自体が楽しいのならいいのですが、嫌々やってそれが継続するはずもありません。いくら代謝をあげてもその分お腹がすきますしそれを補充してしまったら意味がありません。身も蓋もない言い方ですが食べ過ぎなのです。
その特集の中に“「恋愛工学」でおなじみ藤沢数希さんのダイエット論”というのもありました。「10キロ減のインフルエンサー 成功法は正攻法だった」と謳っていますが全く成功法でも正攻法でもないのです。金融工学の藤沢氏がこんな非論理的なことを言うだろうか。きっと編集者が面白おかしく脚色したに違いないと思ってしまいます。
「週2回のジム通いで筋肉をつければ基礎代謝が上がるから太りにくくなる」とありますが、太るのは単純に食べ過ぎです。ジム通いそのものが楽しく好きというならいいですが。
コンサルの永江一石氏のブログを見てもそうですがムキムキ系は筋トレそのものがその先にある筋肉質の体型や達成感が好きでそれを求めてやっているのだと思います。それはそれで趣味のためなのでいいのですが、ただその結果の筋肉としては日常の中では使わないものです。
「体重計に乗る習慣づくりっていう発想がズレてます。減っていく体重を見るのが楽しいから量る方向に持っていかないと」ともありますが、減っていくのが楽しいという考え方自体必ず限界が来ますし、太ったことのない人にはあまり理解できないものでしょう。普通は現状維持の微調整を確認するための定期的計量なのですから。
「本物の富裕層は自由な時間がたくさんあるからジムへ行ける。ダイエットは生活に余裕がある幸せな人だからできることなんですよ」 こんなこと理論物理学の博士が本当に言ったのでしょうか。
生活に余裕って時間とお金のことだと思うのですが、そういう意味では生活に余裕がないけれどもそこそこ幸せな僕はダイエットなど考えなくてもいい適正な体重でずっと推移しているし、今どきジムぐらい行こうと思えば誰でも行っているのではないかと思います。
本物の富裕層こそダイエットなんて考えない位に適正な食生活が確立できているはずだと思うのです。核心は本当にシンプルで(必要な分よりも)食べ過ぎだということは普通に考えれば誰でも理解できることです。
しかし、そこをなぜ必要以上に食べたくなるのか、食べてしまうのかをほとんどの人が考えない、そこを考えないようにしていることが話を面倒にしているのではないかと思うのです。
楽しみや趣味の為ではなく、減量の為に再びお金と時間を使ってまで物を持ち上げたりトレッドミルを走ったり。東洋医学的に考えると、このマッチポンプにこそ強い違和感があります。
安定した精神状態で適度な量を適度に広く食べ、適度に動き、適度に眠っていればそれこそが結果的に世間の言うダイエットとやらに他ならないと考えています。
コメント