性格の中に運命がある

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2021年の3月に亡くなった書家というのか画家というのか芸術家の篠田桃紅。生活スタイルも女性としての生き方も書家としての作風もとにかく何ものからも自由でありたいという思いで生き抜いた107年の人生だったことがわかります。

最も印象的だったのは次の発言です。

『自由というのは気ままにやりたい放題にすることではなく、自分というものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと。やりたいように振る舞って、人にも頼る。それは自由ではありません。自分の行動を責任もって考え、自分でやる。それが自由で、だから自らに由る(よる=因る、依る)という字を書く。これは簡単にできそうで心が強くないとできない。なにものからも「自由でありたい」と思うのは、私の性格からきているんです。芥川龍之介が「運命は性格の中にある」という言葉を残しているけれど、本当にその通り。子供の頃から、何でも自分でやりたがった性格が私の運命をつくってきたのだと思いますね。』

『自分がやりたいようにやってきた。価値観も私流でやってきた。それを一生貫けた。それでご飯を食べることができた。それでいいと思っているの。』

彼女自身の才能が卓越していた部分が大きかったのだとは思いますが、自分のやりたいことや考えることが社会の求めること、周囲が求めることと折り合わないことは誰にでもよくあることです。そのことの繰り返しが人生だと言っても過言ではないかもしれません。しかし自由であることは自己責任と強く結びついてくるのです。

それを彼女はことさら力む訳でもなく、それならこうと淡々と一人で生きていく。小さい頃からの性格だと彼女は言っていますがやはりその性格が運命を切り開いていったのだと思います。

誰にも指図されずに生殺与奪の権利を握られずに自己責任の上で自由に仕事をしてご飯を食べていけること。この有難さは僕も実感しています。

もう一つは

『できるはずだと思い上がるから、行き詰まるんです。やってもやってもまだ何の表現もできていないから、行き詰まるなんてことは絶対にない。行き詰まるはずがない。永遠にやったって、できないに決まっていることをやっているんだから』

これは書家、美術家としての表現に関しての言葉だと思いますが、この言葉も治療家のはしくれとして我が身を振り返ってみると切実に感じられます。

経験を重ねると、この患者さんは良くなるだろうとわかったように勝手に予想してしまうものです。逆に、この年齢ならこの程度までしか良くならないだろうなどということも大方予想してしまいがちになり、そういう予測もある程度患者さんに伝えたりしています。

しかし、これもある意味かなり傲慢であるとも言えます。そんなのわかったつもりでいるのかよと。患者さんの身体を任せられ、ちょっとした刺激で全く関係ない臓器や機能に影響することも当たり前のようによくあることです。

それが東洋医学であり、鍼灸治療であるともいえます。それゆえになおさらもっと謙虚に患者さんの身体、症状に向かい合うべきなのだと改めて姿勢を正してくれる言葉でもありました。

参照:『これでおしまい』 篠田桃紅著  講談社

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