漠然とした不安は意味がない

日常生活

必要な不安と不要な不安を見極める、その違いは自分で対策できるかできないか。結論から書くとそういうことです。

前回で人間は基本的に楽観主義より悲観主義に引かれてしまうものだということを書きましたが、仕事をしていてもその思いを強くします。

例えば出現したその症状に過剰に反応し、その不安を自分で大きくしているというのがあります。

「私、○○じゃないかしら」、「このまま歩けなくなったらどうしよう」等々。

二千万円問題とも共通しているのですが、こういった不安系の人たちは「わからないから不安」なのです。

老化は年を取る誰もが経験したことのない未知の領域ですし、医療の知識も持病でもあればそれは詳しいかもしれませんが、なかなかそういう訳にもいきません。

その症状が不安なら調べたり、医師に相談したりすればいいのですがそれもせず(できず)かえって症状をこじらせたり、無駄にサプリメントを定期購入したりしがちです。

老後のお金問題も、将来いくらの年金がもらえるか(年金定期便でわかります)、生活費はいくらになるのかシュミレーションしてみればおおよそわかるのですが。

不安を煽るメディアに踊らされ不安だ、足りないという人はいくら使っているか、いくら必要なのかなどそういうことを調べていないのです。

しかし何てことはありません。いくらメディアが不安を煽っても二千万円を用意できずにリタイアを迎えた大勢の人たちは何事もなく生活できているからです。

と書けるのは患者さんの中に該当する人が何人もいるからです。

そういう(フツーの)人をメディアは取り上げてもつまらないので取り上げませんし、当事者もわざわざ後進のために声を上げることなどありません。

しかし、二千万円も無くても大丈夫なことは患者さん達が実証してくれています。

何しろ彼らはコロナに関係なく海外旅行はおろか国内旅行すら行きたいと思っていない人が多いのです。

地方から出てきてもう故郷と東京を何回も往復したからもう十分だとか、そもそもそこまで旅行好きではない人が多いようです。

もう億劫だよというのが本音なのかもしれません。

食事にしても外食など落ち着かない、家でゆっくり食べる和食が一番おいしいと。

近所でもコインパーキングのカーリースが充実していますし、車を手放した患者さんも若い人を含めて何人かいます。

金融庁が考えたモデル世帯よりも鍼灸治療、東洋医学を好む人は質素を好み、物欲がかなり少ないというバイアスがかかっているのかもしれませんが。

「二か月に一度振り込まれる年金で生活できていれば死ぬまでもらえるんだから通帳にはそんなになくてもいいんだ」と。

確かにその通りです。見えない将来を案じて焦ってばかりでは不安しかありません。

「DIE WITH ZERO ゼロで死ね」という本が話題になりましたが、まさにそうではないでしょうか。

不安を手放し、日々に小さな幸せを見出して今日一日に感謝して生きていく。それでいいのではないでしょうか。

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