治療中もその前後も患者さんと話をします。
当然皆さん体の不具合を訴え来院し、私の拙い治療で楽になる人もいればそうでない人もいます。
その中間の、治療効果が投資に見合っているのかいないのか微妙な人もそこそこ存在しているのだと思います。
しかし、大部分の週に1回の人から年に1回程度の来院と間隔に差こそあれ定期的に治療に来る方に共通しているのは何か。
それはどの患者さんも健康のために自分で出来るだけの努力をしようとされていることだと思います。
努力といっても自分では何もせず通販のサプリメントを今なら半額、30分以内の電話で送料無料などにつられて買ってしまうような努力(?)ではなく。
健康を気遣い自ら体を動かす。
もう動かせない方でもその気持ちさえあれば訪問治療や訪問リハビリという選択肢があります。
そこそこお金がありそうな人もいれば、「国民年金でやってるのよ!」という人もいて懐具合は人それぞれです。
しかし突き詰めるとそこではなくて重要なのは心身ともに健やかであることが最も優先されるべきと考えることだと感じるのです。
その基本を踏まえてもう一歩進めて考えると、安心して楽な状態、つまり安楽であるかどうか。
これは大川周明が戦後(昭和26年)の65歳の時に脱稿した宗教的生活の回顧録にある考え方です。
「周りと比べて自分がどの位置にいるかではなく自分の置かれた環境において安楽に暮らせるかを知っているかどうか」
「幸福より安楽といった方がいい」と書いています。
健康もそうですし歳をとることもそうですが、気にかけることはできますがこれは自分でコントロールできません。
自分でコントロールできないものを追いかけたり逆らってしまうと人生はしんどいものになってしまいます。
大きな資産を持てるか、健康な体を持てるかどうかはといったことはなかなか私たちの力の及ばないことだと思います。
それとは逆に考え方、心の持ち様は私たちの力の及ぶところです。
エネルギーを注ぐならこちらなのは言うまでもありません。
安心して楽な気持でいる。そんな状態を目指した方がずっと幸せを感じられる事でしょう。
だからお金のあるなし、病気のあるなしに囚われない心を持つこと持てることが大切になってくるのです。
参照:『安楽の門』 大川周明 日本人の自伝 11 平凡社
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