思わず手を差し伸べるということ

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先日訪問治療から平井に戻る時、道で偶然電動自転車の高齢者が転倒する瞬間に遭遇しました。

右へ行くか左へ行くか迷った挙句にまっすぐ突っ込んで歩道の縁石に乗り上げてしまったのです。

思わずロードバイクを降りて仰向けに倒れてしまった当人に声をかけ、自転車を起こして意識はしっかりしているか、頭部などから出血はしていないか確認しました。

幸い何事も無かったのですが地面に座り込んでいたのでせめて歩道の縁石に座るように促したのですが立ち上れないとのこと。

なんと元々何かにつかまらないと地面からは立ち上がれない程、足の力が衰えた人だったのです。

電動自転車は筋力の衰えた高齢者にとってとても便利ですが同時に筋力のみならず反射神経も衰えてくるのでそういった意味ではとても危険な乗り物でもあります。

ヘルメットを被ったロードバイクの僕が手を貸していたので通りかかった人たちに加害者のように冷たい目で見られましたが。

僕も昔、自転車で側道のフェンスにぶつかって額から血を流した時に通りかかった人にハンカチを渡してもらい近くの救急病院の入り口まで付き添って案内してもらったことがあります。

「見も知らない僕にすみません」と言ったら(血を流しているのに)「知らないふりするわけにいかないでしょう」と当たり前のように言われたことを思い出します。

額を縫った後、病院の待合室で血に染まったタオルハンカチを見て一期一会の親切に感謝の気持ちがこみ上げてきました。

でも、出会い頭に、偶然にも転倒した人を見たら誰でも思わず声を掛けたり手を貸したりするでしょう。

それが本来の利他であると中島岳志は書いています。内申書、履歴書に書くためのボランティアは打算からの行動なので利他ではなく利己であると。

また「ここでいいことをしておくと巡り巡って自分に還ってくる」と期待するような考え方、ジャック・アタリの言うところの「合理的利他主義」も結局これも打算的で利己であるから危険な考え方であると。

思わずしてしまったというのが本当の利他である、だからSDGsやってますなんてわざわざアピールしている企業が胡散臭いと感じてしまうのもそういうことだと理解できます。

見返りを期待している時点で打算的で利己主義なのだということです。

以前、ロシアがウクライナに侵攻した当初、英BBCのリポートでウクライナからベルリンに避難してきた人たちに駅に集まってきた大勢の人が手に「1 ROOM」とか「2 Families」と書いたボール紙を掲げて是非ウチを使ってくださいと迎えに来ている映像がありました。

それこそロシアの侵攻以来、次々と報道される悲惨な現状を見ていたら思わず動かずには手を貸さずにはいられなかったということでしょう。

利他の分かり易く且つ典型的な例ですが、世界中の赤の他人の大勢がそんな気持ちになってしまう程プーチンのしていることが人の道に外れた極悪非道なことだというのが悲しい事実なのですが。

参照:『思いがけず利他』 中島岳志著 ミシマ社

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