前回は、40、50歳代独身男性にありがちな「ストレスフルに働いて、飲んで、食べて、寝る」のくり返しの毎日で生活習慣病ドミノの三高(高血圧、高コレステロール、高血糖)と自然発生的な肩関節痛がありながらも薬物治療+生活習慣の改善指導と鍼灸治療で軌道修正しつつある状態の患者さんについて書きました。
その対称として採り上げるのは60歳代の独居男性についてです。ずっと独身だったわけではなく独居になって数十年。病院の検査では問題ないと言われましたが消化器系で体調不良だった時に鍼灸治療に出会い、特にお灸(透熱灸)が好きでそれから8年経過します。
定期的に来る人ではなく三~四か月に一度来るか来ないかといった、体調に少し気になることがあったら来るという程度の患者さんです。
仕事は新聞配達、毎朝2時半に起きるそう。冬の朝の弱い僕には到底同意しかねますが「冬の朝の空気は特に澄んでいていいんだよ」とのことです。
「和定食」を自炊し、食器はすぐ洗い、掃除洗濯も同様に淡々と手を動かすのが好きなのだとのこと(作務の境地!)。夕食前に風呂に入って、仏壇に手を合わせて今日一日を感謝して眠る。そのくり返し。
人と一緒にいて味わう楽しさはその時だけでいずれ別れが来て去っていくものだと。自分の事を自分でできることに幸せを感じ感謝して、自己流の筋トレと少し負荷をかけた散歩をする。
孤独死、下流老人などという言葉が世間で取り上げられている昨今、生まれてくる時も一人、死ぬ時も一人、それも宿命だと。そんな心配より穏やかに今日を過ごしたいと。
数年前に手術をしましたが保証人も術後に説明を聞く人もいないので、医師には「何かあってもそれも寿命だと思っているので恨みませんから」と言ったということです。
こういう人もいるのです。この患者さんの生活、物事のとらえ方はもう立派なお坊さんそのものです。達観しています。普通に笑顔で話をしますがそこには孤高さと悟りが感じられます。この少し加島祥造的な匂いのする新聞配達のおじさん・・・。
この患者さんと接しているとちゃぶ台返しになりますが、結局大切なのは何かということを考えさせられます。
命が長いか短いか、独居か家族がいるのか、お金がたっぷりあるのか無いのかなんていうことよりも、粛々と周りの事象に感謝しつつ今日一日を生き切った満足感で過ごせているか、そういうことなのではないのだろうかと感じるのでした。
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