何故悲観的な考えに気が引かれるのか

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2019年に老後2千万円問題が話題になりその後、金融投資の利益に対する税金がかからないNISA制度も拡充されて年金以外で自らの老後資金を現実的に意識することになったのはいいことだと思います。

しかし、十把ひとからげに「2千万円です」というのもあまりにもざっくり感が否めません。

全ての人が決して同じものなどない全く別々の人生を歩んでいるのに2千万円必要ですというのも参考程度にしても疑問だらけです。

それに関連して、足りないと悲惨な老後だとか不安をあおる記事がネット上の記事でも目に付きます。動画の視聴数が投稿者の収入に直結するYouTubeはその不安、心配に関する動画が山ほどあります。

そもそも人間は楽観主義より悲観主義に引かれやすくできているようです。

700万年前から長い間ヒトは大型の肉食獣を恐れて生き残ってきたのでつまり本能的なものなのだという考えです。

生物が進化の過程で得た思考法であり脅威をより緊急性の高いものとみなす生物が生き延びて繁殖するチャンスに恵まれるからだ、とノーベル経済学賞のダニエル・カーネマンが論じています。

だからほとんどの人にとって世界は良い方向に向かっているのに、悲観主義に特別な何かを感じてしまうのかもしれません。

ハンス・ロスリングは『ファクトフルネス』(日経BP)のなかで「さまざまな集団に属する人たちに話を聞いたが、みな、世の中を実際よりももっと恐ろしく、暴力的で絶望的なーーー端的に言うともっと劇的なーーー場所だと考えている」と書いています。

将来的に市場がリスクにどう適応していくかが考慮されていない(考えつかない)ため、より説得力があるようにその時の状況で想像するしかないので悲観的に考えてしまうのだということもあります。

例えば食料が足りなくなるので人口増加は頭打ちになるとメドウズが50年以上前に発表したローマクラブのいわゆる「成長の限界」も、過ぎてみれば何のことはなく生産性全般の向上、技術革新でいとも簡単にクリアしてしまいました。

オイルショックにしてもシェールオイルを掘り出す技術の出現(とコストダウン)で化石燃料の残量について議論などしなくなりました。

この様に人間は常に、生き残る可能性を高めるために基本が不安ベースなのかもしれません。

不安をあおる発言は楽観的な考えよりも常にもっともらしく聞こえてこちらもつい食いついてしまうのです。

身体、健康に関する情報も同じで何が健康にいい、あれが体に悪いという情報に人はすぐ引き付けられてしまうのです。

でも、安心してください、何の問題ありません。だって今までこうして健康にやってきたのが何にも勝る証拠ではないですか。

悲観的だろうが楽観的だろうが人生は過ぎてゆくのですから。

参照:『サイコロジー・オブ・マネー』モーガン・ハウセル著 ダイヤモンド社

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