70歳代女性。バリバリ仕事をしていましたが仕事をやめた途端に肩こりや精神の不安定など不定愁訴が出現しました。
同様の症状で当院で鍼灸治療をしていた友人の紹介で来院しました。
そこから体調がどこかすぐれないと治療に来るようになり結果的に定期的に通院する患者さんになりました。
お薬を確認させてもらった時に当時通院していた精神科とはうまくいかなくて替えるつもりですと言っていました。
そのうち亀戸の精神科に替えたと聞いていましたがそれからまた2年が経ち4カ月ぶりの来院だったのですが「最近お薬が変わって・・・」というので確認したところまたクリニックが替わっていました。
「3分診療なんですよ」とのこと。待ち時間が長いから不満なのか、話を聞いてくれないから不満なのか、薬が効かないから不満なのか。
そのどれもだったのかもしれません。
では逆にガラガラのメンタルクリニックならいいのか、話を聞いてくれるだけでいいのか、切れ味のいい薬ならいいのか、というとそうではないと思います。
もちろんそこを指摘して患者さんを詰めるのは治療の本筋ではないのでそこにはあまり触れませんでしたが。
こういった精神科系自律神経系の患者さんの医療者への不満というのはそれはもうよくある話なのです。
とにかくメンタルに病気や不具合を抱える人はそれに関して自分の描いている状態に完ぺきに近い状態でなければ良しとしないことが多いのです。
完璧にいかない、こういう風にならないことが許せない、受け入れられないのでそれがまた不満になります。
そこはそれでしょうがないよねとはいかないのです。そのギャップがストレスとなり更に心の安定を乱します。
そんな毎日気分のいい日ばかりじゃないよなあと受け入れられさえすれば苦しむことはないのですが。
気分の落ち込みを受け入れられるというのも一つの体力、度量なのかもしれません。
その逆に体力がないからこそ全てを受け入れられる(受け入れるしかない)というのもあります。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
これは良寛の句です。
「ともかくも あなた任せの としの暮れ」
これは小林一茶の句ですが、この句から何かを感じることができれば自然の流れに逆らって何かを変えようと力んで生きることの無益さが少しは理解できるのかもしれません。
そうして大抵のことは自分のせいだと思える謙虚さがあれば腹も立たないのです。
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