『アナグマはかしこくて、いつもみんなにたよりにされています。こまっている友だちは、だれでも、きっと助けてあげるのです。それに、たいへん年をとっていて、知らないことはないというぐらいもの知りでした。アナグマは自分の年だと、死ぬのが、そう遠くはないことも、知っていました。』
『アナグマは死ぬことをおそれてはいません。死んで、からだがなくなっても、心は残ることを、知っていたからです。だから、前のように、からだがいうことをきかなくなっても、くよくよしたりしませんでした。ただ、あとに残していく友だちのことが、気がかりで、自分がいつか、長いトンネルのむこうに行ってしまっても、あまり悲しまないようにと、いっていました。』
これは、スーザン・バーレイ作・絵 小川仁央・訳「わすれられないおくりもの」(評論社)の書き出しです。この冒頭部分を読んだだけで心をつかまれました。(原題は Badger’s Parting Gifts ≒アナグマのお別れの贈り物)
これは絵本ですが(江戸川区の小学3年生の国語の教科書にも載っています)、世に多く出ているいわゆる終活本や、やがて訪れる死に対して心構えを説くような本などがかすんでしまうほど、示唆に満ちシンプルに全てを語ってくれている気がします。10分足らずで読めてしまえるのに。
以前どこで読んだか忘れましたが、「なぜ人は腹いっぱい食事をして何の未練もなくレストランを出ていくように人生を終わらせることができないのか」という哲学者の言葉の引用を読んで全くその通りだと思いました。必ず終わりが来るのにそれが受け入れられない、とにかく一週間、一日、一時間でも長生きしたい(させたい)。
いよいよカウントダウンになってから急に焦り出すのです。藤堂高虎が病床で子供たちに言った言葉に「朝、寝床を出るときに今日が人生最後の日だと思うようにしなさい。そうすればいざという時に慌てることがない」というのがあります。
全ての人が必ず死んでしまう事は頭で知っています。しかしそれはどんなものか誰も経験していません。だから不安になる、恐ろしい。
瀬戸内寂聴が書いていたと思うのですが、それこそたくさんの人を見送ってきた老僧がもう亡くなるという時に、何か言おうとしているので枕もとで弟子たちが最期に何か含蓄のある事でも言うのかと身構えたら「死にたくない・・」と言ったと。そうかと思えば、それこそ満足して振り返らずレストランを出るような人もいます。
そしてこのアナグマは周りの動物たちに豊かな経験、知識を残してくれました。それが皆の心にいつまでも残っているのです。生まれてそして死んでいく。ただそれだけなのですが、どうして私たちはこんなに苦しみ悩むのでしょう。それが人間だと言えばそうなのですが。
一日一生。結局、心の片隅に死を思い(メメント・モリ)、今日一日を大切に思い残すことなく日々を生きていく・・・ということなのではないでしょうか。
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