無理に運動なんてしなくてもいい その1

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「ほんの50年程前までは、わざわざお金を払ってわざわざカロリーの無い食べ物を選択して買う時代が来るなんて想像もつかなかったと思う」と以前にも書いた事がありますが、それと似たようなことを人類学、生物学、博物学の立場から詳細に検証した興味深い本を読みました。

『 運動の神話 上 』ダニエル・E・リーバーマン 早川書房

『・・・私の五世代前の先祖に向かって、一日の大部分を椅子に座って過ごし、怠惰な生活を埋め合わせるためにお金っを払ってジムに行き、同じ場所に留まることを強いるマシンに乗って汗をかき、疲労して不快に感じていると告げたら、頭がおかしいか愚か者だと思われるのがオチだろう』

現代のエクササイズ=運動の一般的な定義は「健康やフィットネスのための自発的な身体運動」ということになっていますが、それこそそれはここ40年の新しい生活様式です。

健康のために運動をするということ自体、狩猟採集や農耕にいそしんでいた私たちの祖先にはありえないことです。

そして現代は「健康のために運動する」ということに我々も全く違和感がないように、運動=体にいいこと、になっています。

『私たちの先祖はトレッドミルの不条理さに加えて、運動が商業化、産業化、何より医療化されていることに面食らうに違いない。』

つまり、楽しい、もしくは体を動かしたくて運動している人はそれでいいのですが、それ以外の多くの人が体重管理のためや体脂肪のためなど病気の予防、老化予防を金科玉条として掲げられ運動しかないと錯覚させられるのです。

結果として【スポーツクラブはなぜ続かない】(2025.6.8UP)でも書きましたが、サブスクでトータルとして高いお金を払って運動しているのです。

ウォーキング、ジョギングなど運動の多くは本来無料(特に江戸川区は願っても無いいい環境)なのですが企業はそこを上手におしゃれな特別な場所、手軽な運動の場所として課金するよう仕向けます。

健康になりたいならフィットネスクラブという風潮ですが、運動しなければ健康になれない、健康は無いのでしょうか。

実は極端でさえなければ、ごく普通の生活さえしていれば運動が足りないということはまずないと言っていいのです。

それよりも重要なのはその「生活、活動状態に見合った食生活をしているか」ということなのです。

つまり、体重超過の現代人の多くは結果として長い時間をかけて体重を脂肪を増やす地道な努力を日々続けているというに他ならないということなのです。

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